InfoTank通信
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2011年 5月7日

【アメリカ通信】ジャパニーズ・アメリカン

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カリフォルニアで「ライス・キング」と呼ばれた日本人。

留学で様々な経験をもたせ学んでほしいと常々考えていますが、ひとつは同じ日本人の先人達の歴史から学ぶことも大切だと思う。それは私などが渡航する以前に海外に出た素晴らしい日本人達の歴史です。アメリカに渡ってきた人達が自分たちの特性を生かして発展を遂げた歴史で、そこに日本人としての誇りを見出す、過去を知ることにより自分を見出す事が出来るのではと思います。  

カリフォルニアは日本人の移民が多かった場所です。明治時代から色々な人達が日本から渡ってきました。特に第二次世界大戦後、広島、和歌山、熊本、鹿児島などの産業が少ない地域からやってきた人達は英語も出来ず、就学もしておらず、出来る仕事はメキシコ人と同じように広大な農場で日雇いの仕事をするしかありませんでした。カリフォルニアの産業で一番は農業ですから、場所としては打ってつけのところだったわけです。メキシコ人は忍耐強く農民としては有能で少ないお金でも文句を言わず働いてくれます。今でもカリフォルニアの農業を支えている人材です。 

さて、「国宝ローズ」というカリフォルニアの国府田農場が作ったお米があります。この農場を始めたのは文字通り国府田さんという人。この方は東北出身でアメリカに来て米作りに専念しました。  

毎日コツコツと何かをしてなければいけない農業は、日本人の資質にあっているようで、この国府田さんも良い米を作ることばかりを試行錯誤する毎日でした。アメリカの農地は広大で、特にカリフォルニアは4月から10月一杯まで雨が降ることなく、どちらかと言うと砂漠の気候です。まず水の問題さえ解決できれば農業にとっては問題ない気候でした。そこで国府田さんは苗を植え付ける方法ではなく、種まきの方法を考案しました。ですから今でもアメリカの米畑は遠くから見ると、密集して育っており芝生の様に見えます。また、その種まきは空から飛行機で撒く。その種まきも、上空20メートルから二枚羽の飛行機で撒くのが一番良いと言うことも研究しました。今ではアメリカの農業で飛行機を使って種まき、農薬を撒くというのアメリカ留学は当たり前になっていますが、実はこの飛行機を使った農業をアメリカで始めたのは、この日本人であった国府田さんです。米畑も広大ですから、少しづつ落差をつけて水を供給するように研究し、後にカリフォルニアのお米の王様と言われるようになりました。この国府田農場の場所は、ドス・パロスという小さな田舎町ですが、国府田さんの農場が大きくなるにつれ、大きなお金が動きますから、Bank of America(アメリカでも一、二を争う銀行)が、この町に国府田農場の為、支店を立ち上げました。また、この町の住人の殆どが国府田農場で働らいているか関連した仕事をしています。 

この方の活躍した現場を訪問して、その内容を詳しく説明するプログラムを作りたいですね。
アメリカを訪れる留学生もきっと感銘を受けると思います。 

次回は、「カリフォルニアの切花産業に貢献した人達」です。 


➠ プロフィール【サンフランシスコ現地スタッフ】


●国府田敬三郎(コウダケイサブロウ)
福島県磐城郡小川村大字西小川小玉(現 いわき市)出身。アメリカ帰りの実業家の影響で渡米の夢が高まり、その夢を両親に訴えるかなわず、師範学校を卒業。教育の道に入るもアメリカに行きたい思いは強く、ふたたび渡米を試みる。当時は日本からの移民が制限が厳しかったため、移民としてではなく、アメリカの教育現場を視察するという名目でサンフランシスコに入港。各地をさまよい歩いた後、日系人の漁業が盛んであったサンペドロ(San Pedro)で缶詰会社を設立するがすぐに手放してしまう。そんな彼が1920年、思い立ったのが祖国の父も仕事としていた精米であった。彼は米作に立ち向かい、水田の播種に飛行機を使用するなど大胆な発想の転換や、ドライヤー(乾燥機)と倉庫を完備するといった設備投資の末、なんとか事業を軌道に乗せる。そうして明るい未来が見え始めていたとき、1941年12月、日米間の開戦を迎える。強制収容所に土地や資産を持っていくことは不可能。やむなくアメリカ人の顧問弁護士に全てを任せて旅立つことに。その間、土地問題で起訴されたり、1945年終戦後は自分の土地へ戻るも、半分以上なぜか売却されていたことも。その困難を乗り越え、今までの品種に改良を加え、日本の米に限りなく近い「カルローズ米」(日本名「国宝ローズ」)を発売した。この新しい米は在米日本人からの多大な支持を受け、今日に至るまで人気を保っている。戦前、戦中、戦後に渡って彼を悩ませた「外国人土地法」はすべての日系移民たちにとって深刻な問題であった。その後、全米的な運動を展開し、ついにカリフォルニア州大審院をして「カリフォルニア州外国人土地法は違憲」との判決を出さしめた。日系一世のために惜しまぬ努力を尽くした人、国府田敬三郎。東京銀行にかけあってカリフォルニア支店を作らせ、日系人が差別に苦しむことなく融資を受けられるようにしたのも彼である。82歳のとき、妻とともに日本に一時帰国中他界。勲三等を受賞した。

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