InfoTank通信
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2011年 5月18日

【アメリカ通信】続・ジャパニーズ・アメリカン

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カリフォルニアの日本人

次はカリフォルニアで切花産業に貢献した日本人の話。移民で日本からやって来た人達は言葉の問題と手に職がないという事で殆どが農業に従事していたり、民家の芝生の手入れというような仕事をしていた人が多かったのが実情です。それで家族を養ったり日本に送金をしていました。

しかし、そこに柴田さんという人物が出てきます。この方はこれでは現地の日本人社会の未来はない、その日暮らしではないかと考え、自ら興味のあった切花栽培を勉強。そしてそれを仲間の日本人に伝えたました。栽培方法から銀行への借り付けの仕方、返済方法、税金の支払い方など細かく勉強会を開き、自分が学んだ内容を皆に教え、切花栽培を日系人に広めました。それで助かった人達は数えられないほど、そしてワトソンビルという町に根を作り、今では全米の75%の切花栽培を占めるまでになりました。そしてその85%は日系人の農家です。アメリカの切花栽培は実は日系人の手に寄って栄えているのです。

現在は南米の安い花に押されていますが、気候の安定したカリフォルニアではいまでもこの人達が活躍しています。
特筆すべきは柴田さんが自分のことだけではなくアメリカに居る日本人を仲間として考え、この仕事を始めたところ。
アメリカ留学もう一人は、アメリカのレタス王とまで言われた松井さん。この方は昭和40年代の初期にカリフォルニアへ訪れました。渡航当時はやはり英語力の問題もあり、他の日本人と同じく農場で手から口への仕事しかありませんでした。毎日農作業を終えて給料を貰う。一緒に働いているメキシコ人はそれで満足していたが、そこは矢張り日本人、毎日働いて終わるのでは未来はないと考え、働いたお金を少しづつ貯め、銀行から融資を受け土地を購入。その土地を利用し自分でレタス栽培を始めました。

この方も研究熱心で、良いレタスを作り、よい良い供給方法をと考え、後にシカゴ、ニューヨークに松井さんのレタスは広まり、アメリカのレタス王と呼ばれるまでになりました。彼のことはサンフランシスコの新聞、クロニクルの日曜版の特集に掲載もされました。松井さんのレタス畑はサリナスという町にありますが、ここは以前から気候と土壌が野菜栽培に適しているため、アメリカのサラダ・ボールと呼ばれていました。以前は水さえ撒けば何もしなくても作物は育ったのですが、土壌が疲労してしまい、肥料、農薬を大量に使用しなければ作物が育たなくなり、松井さんは自分の使命は終わったと考え、今はタイで蘭の栽培に力を注いでいますが、思い出のサリナスの町を去る時には売り払った土地の代金の全てをサリナスの町に寄付しました。金額は40数億円。これを全て自分のお世話になった町に返したのです。

サリナスの町は松井さんのことを決して忘れることはありません。こういう日本人が居てアメリカで活躍して居た事を風化させたくありませんね。

残念な事と言うか、この人達に共通するのは子供たちが医者、弁護士などになってしまい跡継ぎがいなくなり家業が途絶えてしまったことです。しかし、この人達の残した業績は色んな形で残っていますし、残さなければいけないと思います。またこういう歴史を知ることで今後の人達の指針になれるのではないかと考えています。

アメリカへ訪れるのならば、活躍した先人を知ることも留学の醍醐味です。


➠ プロフィール【サンフランシスコ現地スタッフ】

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